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【恐ろしや!】超悲惨な大航海時代の食事と雑学あれこれランキング!

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【恐ろしや!】超悲惨な大航海時代の食事と雑学あれこれランキング!

大航海時代というと夢やロマンに溢れた大冒険という感じですが、実際の船員の生活は「とてもみじめで悲惨だった」と言われてます。そこで今回は特に酷かった「船員の食生活」について、いろいろまとめてみました。

1位

大航海時代とは?

15世紀中ば~17世紀中頃まで続く、ヨーロッパ人によるアフリカ沿岸、インド~アジア大陸・アメリカ大陸などへの植民地獲得を目的とした、世界規模の侵略行為を差す言葉です。

これ等を可能にしたのは15世紀初頭に航海技術の進んでいたイスラム圏から、海上で常に正確な方位を知ることが出来る羅針盤の伝来があり、更には造船技術の進歩で風を良く掴み、高い帆船能力があり長い外洋航海にも耐えられる、とても頑丈なキャラック船やキャラベル船が作られるようになった事で、大航海時代が幕開けしたと言われています。

大航海時代の事を欧米の教科書などでは「海洋進出」などと言われますが、事実上の侵略に他ならず、後の北と南の両アメリカ大陸における大規模な虐殺や、北アメリカのネイティブ・インディアンを組織的に殺してゆく民族浄化など、白人至上主義に元付くその行為は、残虐で陰惨を極めていました。

そして白人諸国を中心に大規模に行われた黒人奴隷貿易、イギリスによるインドや中国の大規模な侵略と、プランテーション経営、三角貿易など、他国を侵略し白人が様々に搾取した結果、肥え太った国々が、未だこの世界をリードしている現状があるのです。

2位

航海中の主な食べ物

さて、それでは大航海時代に船積された主な食料品を列記してみましょう。それは以下の通りとなります。

ビスケット、塩漬け肉、塩漬け魚、干し魚、乾燥した豆やニンニク、チーズ、玉ねぎ、果物、ビール、ワイン、真水、油、酢、塩等々などであり、出港からしばらくの間は、ある程度マシな物を食べられたようです。

しかし航海が長くなると、以下の様な悲惨な状況が待ち構えています。。。↓

3位

腐って行く食物。。。

大航海時代の航海というのはある意味で、一か八かの賭けのような所がありました。

例えば比較的近いとされていたアフリカ大陸から「胡椒1粒は金貨1枚」と言われた、大量の香辛料を山積みして凱旋すれば、一介の船乗りでも「ある程度まとまった富」を築くことが出来ました。

しかし、アフリカ沿岸特有の大嵐の中で、梶が壊れたり、帆が倒れたり、浸水したりすれば、文字通り、船もろとも「海の藻屑」となってしまう可能性もあったのです。

ですから当時遠洋航海の船乗りといえば、犯罪を犯し正規の職に付けないなど、ゴロツキ、命知らず、流れ者、などと相場が決まっており、普通の市民からみれば「まったくの狂気の沙汰」であり「まともな人間たち」ではありませんでした。

さて、本題の食事ですが、航海の期間が数ヶ月と長くなれば、冷凍設備などはありませんから、当然ながら出港時に積み込んだ食物は、ドンドン腐ります。

美味しい干し肉や野菜類はすぐに食べ尽くし、後に残ったのは悪臭を放つ塩漬け肉、ウジが沸いたチーズ、ハンマーで叩いても割れないぐらいに硬くなったビスケット、緑色に変色して悪臭を放ち、とうに飲めなくなった真水などだけに成ります。

そうなると飲料水代わりにワインやブランデーを飲むしか無く、余計に喉が乾いたり、チーズなどはウジごと焼いて普通に食べ、悪臭を放つ塩漬け肉も鼻を摘んで、飲み込まなければなりません。

これでは体に言い訳がなく、常に船員達は下痢などの慢性的な胃腸炎に、悩まされていたのでした。。。

4位

ネズミやゴキブリは貴重なミネラル源

めぼしい食物が無くなった遠洋航海の船乗りにとって「ネズミは非常なごちそう」であり、先を争って捕獲し、丸焼きにして食べたそうです。

遠洋航海の船には、ネズミ対策に猫が乗せられる事が多かったそうですが、食料不足などの場合は非常食(!!!酷い!)にもなり、それでネズミが増えてしまったのでしょう。。。

また、近くを這いずるゴキブリなどの虫も、普通に摘んでスープに混ぜて食べたそうです。。。

これは何故かと言えば、ネズミやゴキブリを積極的に食べると、この後5位でご紹介する悪魔の病気「壊血病」に何故かかかり難くなる事を経験上「船乗りたちが知っていたからだ」と言われています。

ネズミの新鮮な肉はビタミンB類が豊富であり、常に不足しているタンパク質を補給出来ますし、生のゴキブリからは僅かながら壊血病の特効薬であるビタミンCも補給できたらしく、経験豊富な船乗りは文字通り「なんでも食べて生き残った」わけですね。

5位

恐ろしい壊血病

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さて、それでも航海中に魚を取り、食べる習慣が当時無かった船員達は、徐々に壊血病に冒され、衰えていきます。

日本はこの大航海時代に参加しませんでしたが、もし日本人がこの頃の遠洋航海に乗り出したとしても、西洋の船員などとは違い「壊血病には冒されなかった」と思います。

それは何故かと言えば「生魚を刺身にして食べる食習慣」があったからです。

生魚にはビタミンCも含め、各種ビタミン類が豊富に含まれており、もしヨーロッパ人が捕獲したばかりの魚を、その場で刺身にして食べれば、大部分の命が救われたことでしょう。

まあそれはともかく、この当時、長い航海に乗り出した船員は、悪魔の病気といわれた壊血病に次々と冒され、出港時に170人居た船員が、3分の1の50名以下に減ってしまう事もありました。当時の惨状を記したメモを以下に抜粋しますと ↓

俺の歯茎はすっかり腐ってしまった。真っ黒な腐った血が流れ出ている。太ももは壊疽を起こしていて、俺はナイフでこの腐った肉を削り取って、どす黒い血を無理やり流しだす。土気色になった歯茎もナイフで削り、腐った血をしぼり出す。俺は小便で口をゆすぎ、強くこする。ものを噛めないので、飲み込むしかない。毎日この病気で仲間が次々と死んでゆく。包みや戸棚の裏でいつの間にか死んでいて、発見された時は目や指はネズミにかじり取られてなくなっている・・・・。

出典:不思議館〜海にまつわる恐ろしい話〜 大航海時代の恐ろしい話

とこのように、陸地を発見できない船の上は「地獄絵図そのままの空間」となっていたわけであります。。。

6位

ジェームズ・リンドとキャプテン・クックの試み

大航海時代も終わって100年余りが経った18世紀中頃、イギリスの偉大な航海者、キャプテン・クックこと、ジェームズ・クックは「壊血病対策の画期的な発見」をします。

まずクックはイギリス海軍省において「新鮮な野菜や柑橘系の果物を食べたら壊血病が防げる」という事を発見した「ジェームズ・リンド」に注目しました。

そして西洋諸国で昔から食べられていた生キャベツを塩漬けにして作る漬物「ザワークラウト」を瓶に詰め、遠洋航海に持って行き、これを航海中(世界周航という長い航海)の船員に食べることを義務つけたところ「壊血病で死ぬ船員が1人も出なかったという快挙」を達成します。

しかし、その後が悪かったのです。

というのも「ビタミンCが熱にとても弱い」ことは、この段階になっても解明されておらず、のちにクックもザワークラフトより当時栄養価が高いとされていた麦汁(加熱により、ビタミンCが壊れる)の方を重要視するようになったため、相変わらず壊血病で死ぬ船員が多かったそうです。

7位

ライムの効果

6位のジェームズ・リンドとキャプテン・クックの不完全な対策以後も「壊血病とビタミンCの関係」は長く解明されませんでした。

この関係がやっと科学的に解明されたのは20世紀に入った1932年で、以後はイギリス海軍などでライムジュースなどの摂取が奨励され、現在に至っています。

明治期以降、不思議と日本海軍ではこの壊血病の災禍は有りませんでした(まあ、遠洋航海はしてませんでしたが)が、日本の国民病とも言われた脚気には、長く悩まされていたそうです。

8位

こぼれ話1:ネルソンの血

隻眼・隻腕の名提督として有名なホレーショ・ネルソンが、1805年、フランス・スペイン連合艦隊をトラファルガー岬沖で撃破した「トラファルガー海戦」で戦死した際、部下たちはその死を惜しみ、ネルソンの遺骸を大きなラム酒の樽に入れ、防腐処理をほどこし、イギリス本国まで持ち帰ったそうです。

しかし、樽を開けてビックリ仰天、樽の中に満タンに詰められていたラム酒が「ほどんどカラ」になっていたのです。これは偉大な功績を残したネルソンにあやかろうと、部下たちが航海中、代わる代わるネルソンの遺骸の入った樽の中のラム酒を、飲んでいたからとされています。

この逸話がもとになり、イギリスでは美味いラム酒のことを「ネルソンの血」と呼ぶそうです。

9位

こぼれ話2:バルチック艦隊と壊血病

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秋山真之―伝説の名参謀 (PHP文庫)
日露戦争の最大のクライマックスと言えば、バルチック艦隊をみごと撃破した日本海海戦でありましょう。

バルチック艦隊は遥かバルト海沿岸のリバウという軍港に集結し、ここから何万キロも彼方の日本をはるばる目指し出港します。しかし途中でイギリスの漁船を、日本の魚雷艇と勘違いし、誤って攻撃してしまい、多数の民間人を死亡させてしまいます。

それ以降、イギリスが親日的なスタンスを取った事から、行程上で重要なイギリスの支配する寄港地に、一切立ち寄ることができななくなります。

更に地中海と紅海を結ぶスエズ運河の通行もイギリス側に拒否され、バルチック艦隊は大航海時代と同じく「アフリカ沿岸をぐるっと回る」という、もの凄い遠回りをしながら、何とか日本海に到着します。

さて、ココで大問題となったのが前述の壊血病でありました。

1905年当時、まだ壊血病とビタミンCの関係について解明されていません。しかし作戦上、出来る限り急いで日本海に向かう事が急務であり、できる限り寄港する港を省き、無理な航海を続けていました。

そうです。バルチック艦隊の兵士の大部分は大航海時代と同じく、壊血病に冒され、大きく士気が低下し、日本海まで来た時にはもはや「海戦に耐えうる状況では無かった」とも言われています。

また当時この日本海海戦の作戦立案者で、事実上の責任者だった「秋山真之」(上記写真)という稀代の名参謀がいた事も、バルチック艦隊に災いします。

「本日天気晴朗なれども波高し」

詳しくは解説しませんが秋山参謀の鋭い観察眼に元付く、この名言により「日本海軍の勝利が決定付けられた」とも言われています。
※掲載の内容は、記事公開時点のものです。変更される場合がありますのでご利用の際は事前にご確認ください。
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最終更新日: 2017-12-13 15:49:54.0
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