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  1. プロ野球ファン必見! 歴代監督ランキング(1970年~現代まで)
プロ野球ファン必見! 歴代監督ランキング(1970年~現代まで)

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プロ野球ファン必見! 歴代監督ランキング(1970年~現代まで)

プロ野球監督の使命とは、勝利を目指しながら、同時に選手を育てることです。そして非情の決断が必要になる場合もあるでしょう。あらゆる資質をトータルに分析し、歴代の名監督を独断と偏見でランキングしました。

1位

広岡達郎

「管理」ではありません。「教育」です。

出典:

ヤクルトスワローズ、西武ライオンズ、
広岡達郎氏が監督を務めたチームはいずれも弱小チームでした。

実力のある選手を他球団から引っ張ってくるだけではなく、
長期的な視野で選手を育成することにもっとも力を注いだのです。

それと同時にベテランたちにはあえて辛口な言葉で挑発し、
彼らのプライドを刺激し、闘争心を掻き立てさせました。

「東尾なんて要りませんよ」という発言とは裏腹に、
日本シリーズでは全幅の信頼を彼に託す。

誤解されやすい性格ではありましたが、私は日本一の名将であると思います。
西武ライオンズの黄金時代を率いたのは森祇晶でしたが、
広岡監督の遺産を受け継いだからこその偉業だと言えるでしょう。


日本シリーズ優勝 3回
リーグ優勝 4回
監督年数 8年
試合数 966試合
勝利 498勝
敗北 406敗
引き分け 62分
勝率 0.551

出典:

【懐かCM】サッポロ ドライ 広岡達朗(1988年)

「辛口」な人だけあって、ドライビールのCMに起用されました。

2位

野村克也

選手時代も監督になっても、常にボヤき、敵をかく乱させていた。

出典:

陰険な感じがプンプンしていて、決してお近づきにはなりたくない人物です(笑)。
けれども選手として、そして監督としての実績は申し分ありません。

野村監督の功績は、選手の潜在力を見抜くことでした。

「野村再生工場」といわれ、他のチームで解雇された選手をわざわざ起用します。
「自分ならこいつの能力をもっと発揮できる」
そのような自負だけではなく、実際にその眼力を持った人物でした。
野村監督の下で飛躍を遂げた選手は数知れません。

捕手出身だけあって、ゲームの勝ち方を熟知していたのも彼の魅力です。
一癖も二癖もある人ですが、これも名監督になるための必要条件かもしれませんね。

日本シリーズ優勝 3回
リーグ優勝 5回
監督年数  24年
試合数 3204試合
勝利 1565勝
敗北 1563敗
引き分け  76分
勝率 0.500

出典:

3位

仰木彬

選手にも愛され、女性にも人気のあったナイスミドル

出典:

監督には陰険な性格も必要である。
そのように書きましたが、常に例外はあります。
選手に愛されながら、なお勝負強い名監督、それが仰木彬でした。

黄金時代の西武ライオンズを追い詰め、
あと1勝で仰木監督の率いる近鉄バッファローズが優秀するという試合がありました。
有名な1988年10月19日のロッテ対近鉄戦です。
このゲームは日本中が注目しましたが、惜しくも惜敗。
けれどもその翌年、仰木近鉄はパ・リーグを制覇しました。

近鉄を勇退したあとはオリックスの監督に。
前監督から冷遇されていたイチローを大抜擢したのも彼の偉大なる功績でしょう。

ちなみにメジャーリーグに挑戦した野茂投手ですが、
仰木監督がそのまま近鉄の監督を続けていれば、メジャーへ行ってなかったと思います。

それだけ選手に愛されていた稀に見る名監督でした。

日本シリーズ優勝 1回
リーグ優勝 3回
監督年数  14年
試合数 1856試合
勝利 988勝
敗北 815敗
引き分け  53分
勝率 0.548

出典:

4位

古葉竹識

「走る野球」を実践した知将

出典:

1975(昭和50)年、広島カープは米国からジョー・ルーツ監督を招聘しました。
チームカラーを赤に変えたのも、このルーツ監督でした。
けれども、喧嘩っ早いルーツ監督は、たった15試合でフロントと折り合いが悪くなりカープを去ったのです。

そのゴタゴタの後を受け継いだのが古葉監督でした。

選手時代は広島カープで活躍したあと、晩年には南海ホークスへ移籍。
そこで出会ったのがランキング2位の野村克也監督でした。
彼の下でコーチに就任し、指導者としての実績を積んだのです。
シーズン途中での監督就任ではあるものの、彼にとっては満を持しての登場だったでしょう。

万年Bクラスの広島カープは、古葉監督の下で黄金時代を築きました。
特に重視したのが「走塁」。
幸い広島カープの主力打者である山本浩二も衣笠祥雄も、通算盗塁数が200を超える俊足でした。

1つでも次のベースに進塁することが、得点につながるのです。
当たり前の話ですが、それを実践する方法論は当時画期的な考え方でした。

走り、打ち、守り勝つ。
このセオリーを実践し、70年代後半から80年代にかけて、
広島カープは押しも押されぬ強豪チームへと変化を遂げたのです。

日本シリーズ優勝 3回
リーグ優勝 4回
監督年数  14年
試合数 1801試合
勝利 873勝
敗北 791負
引き分け  137分
勝率 0.525

出典:

5位

落合博満

名選手が名監督に

出典:

落合監督を語るうえで欠かせないのが、2007年の日本シリーズです。
8回まで完全試合を達成していた山井投手ですが、なんと降板の指示が出されます。
みんな唖然としました。

クローザーの岩瀬投手は「絶対・絶対・絶対」の存在でしたが、
山井投手に対する無情の采配に非難の声があがりました。
そして私自身、この決断が正しいのかどうか、今もなお判断を下すのは難しいところです。

けれども、三冠王を三度も獲得した大選手として、
平均して隔年でリーグ優勝を遂げた大監督として、
やはり落合博満という男はレジェンドなのです。

日本シリーズ優勝 1回
リーグ優勝 4回
監督年数  8年
試合数 1150試合
勝利 629勝
敗北 491負
引き分け 30分
勝率 0.562

出典:

6位

西本幸雄

悲運の名将

出典:

大毎、阪急、近鉄。
どの球団も現在は消滅してしまいました。
この3チームを率いすべて優勝に導いた西本監督。
特に阪急と近鉄ですが、弱小チームを強豪チームへと変身させました。

リーグ優勝8回という名将でありながら、
日本シリーズでは1度も優勝をすることができなかったことから、
「悲運の名将」とも呼ばれています。

けれども、日本シリーズでは相手が悪すぎました。
阪急を率いていた時の相手は、王・長嶋を擁するV9時代の巨人です。
さすがに西本監督といえども、相手が悪すぎたのでしょう。

野球に取り組む厳しい態度と、選手への深い愛情。
人柄も立派な方でした。

日本シリーズ優勝 0回
リーグ優勝 8回
監督年数  20年
試合数 2665試合
勝利 1384勝
敗北 1163負
引き分け 118分
勝率 0.543
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※掲載の内容は、記事公開時点のものです。変更される場合がありますのでご利用の際は事前にご確認ください。
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最終更新日: 2016-10-24 13:31:00.0
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