1. 日本史の授業では教えてくれません! 日本の奇人変人ランキング
日本史の授業では教えてくれません! 日本の奇人変人ランキング

日本史の授業では教えてくれません! 日本の奇人変人ランキング

「あの人ちょっとヘンじゃない」という会話はどこでも聞かれますね。たしかにちょっとだけ変な人はたくさんいます。けれども本物の奇人変人となると、滅多にお目にかかれるものではありません。そこで、歴史を代表する奇人変人をランキングしてみました。どうぞご覧あれ。

1位

永井荷風

出典:

若い女性に囲まれニヤニヤしている、一見気持ち悪いオジサンですが…

古今東西の知識と、和漢洋の造型の深さ。
英語もフランス語も堪能でした。
それでいて、荷風先生の筆に委ねられた日本語の美しさ。

数々の名作を生み出しながら、無名の新人も発掘していく。
名作「細雪」をこの世に生み出した、
谷崎潤一郎を見出したのもこの永井荷風なのです。

それでいて、私生活はハチャメチャ(笑)。
慶応大学の教授をしていた頃も、遊郭から大学に通っていたとか(苦笑)。

荷風先生の私邸は、号して「偏奇館」。
「へんきかん」「ぺんきかん」のどちらの読みも可です。

さて、荷風先生が小説家であることを忘れていました(笑)。
私のおすすめは「濹東綺譚」。
隅田川の東が舞台となったお話というタイトルです。

このラストシーンの文章の美しいこと。
天才谷崎にしても、荷風先生には一生頭が上がらなかったのも無理ないでしょうね。

晩年は浅草のストリップ劇場の踊り子と戯れるかとおもったら、
ヌードショーの審査員をしたこともありました。
当時の人々の価値観からしたら、眉をひそめるようなことでも、
荷風先生はまったく頓着しなかったのでしょう。

文化勲章をもらったあとも、ご自身の生きたいよう、気ままに過ごしていたようです。

荷風先生の最後は誰にも看取られず、
大金の入った預金通帳の鞄の傍で往生を遂げられていたとか。
孤独死が怖いとか、そんな俗っぽい気持ちとは無縁だったのでしょう。

先生の死後、税務署の諸君は、荷風全集を買い込んで相続税の算出をしていたそうですね(笑)。
誠にご苦労さまでございます。

2位

足利義政

出典:

室町幕府の将軍様、実は問題児が多いのです(笑)。
8代将軍足利義政、彼が「困った将軍様」の筆頭でしょう。

今でいえば、仕事(政治)をまったくやらず、
引きこもって趣味に没頭し、政治は混乱の極みに陥ります。
すべて奥さんの日野富子の言いなりだったようですね。
京の町は飢えた人々の屍が累々と横たわっていたといいます。

けれども、文化人としては日本屈指の人物です。
ただの庶民である庭師、絵師、能役者とサシの付き合いをし、
自分と趣味が合う相手であれば、相手の身分など気にしませんでした。
その義政がパトロンとなって花開いたのが京の東山文化です。

教科書には必ず出てくる書院造として有名な東求堂同仁斎。
これを見ると、とても最高権力者の住む所には見えませんね。

まるで狭いところへ引きこもりたいかのような、
そんな彼の気持ちを表しているとすればうがちすぎでしょうか。

3位

南方熊楠

出典:

博物学者、菌類学者、民俗学者、人類学者、考古学者。
いったいどれだけ勉強すれば気が済むのでしょうか?
そして環境保護運動の先駆者としても知られています。

熊楠先生の知識はちょっとかじっただけの生半可なものではありません。
細菌学に関しては、若き日の昭和天皇に御進講するほどの知識があったのです。

そのとき昭和天皇に粘菌の標本を献上したのですが、
なんとキャラメル箱に入れていたというから驚きです。
ふつうは桐の箱に入れるのですけどね。

宮中では決して見かけない変人ではあるものの、
ご自分と同じ植物学を修めた人物として、
昭和天皇は南方熊楠がなんとなく好きになったのでしょう。

ご進講から星霜を経て、天皇の詠まれた和歌を紹介しましょう。
「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
天皇が一般庶民を歌に詠むのは、まさに異例中の異例なことだそうですね。

ちなみに熊楠先生、勉強ばかりして、一生涯定職に就かなかったそうです(笑)。

4位

高岳親王

出典:

平安時代初期の人物です。
平城天皇の皇子で、嵯峨天皇の皇太子たる人物でした。

ところが平城上皇と嵯峨天皇の対立により起こった「薬子の乱」。
それがきっかけで高岡親王は皇太子の座から失脚します。
親王は弘法大師空海の弟子となり出家の身となりました。

ふつう、こういう境遇に身を置かれた人は、僧とは仮の姿。
いつかは復権してやるぞ、そのような野望を胸に秘めながら。

けれども、本当に仏教にハマってしまったのがこの高岳親王。
師である空海が亡くなったあと、唐の国へ渡り、そして天竺(インド)を目指します。

この時かなりの高齢だったといいますが、その冒険心たるや常の人とは思えません。

その後、親王の行方は杳としており、だれも知る人はいないのです。
日本最初の冒険家、そんな称号を与えられるにふさわしい人物ですね。

5位

一休宗純

出典:

「一休さん」というアニメ番組、おそらく知らない方はいないでしょう。
アニメでは可愛らしい少年ですから、ご本人の肖像画を見ると、
「えっ、これがあの一休さん」と驚かれるでしょうね。

一休さんの知名度は海外にも及んでいます。
女優のシャーリー・マクレーン、若いときは本当に可愛らしい人でした。
この方が言い張るには、ご本人の前世は一休さんの愛人だったというのですね。

「お坊さんに愛人?」
そうです(笑)。一休さんはお坊さんでありながら、酒は飲む、肉は食べる、
女性はおろか男性まで愛したというではありませんか!

こういう一休さんの行動ですが、露悪的な行動をすることによって、
逆に相手に悟りを求めるという、禅の考えが反映されていると考える人もいますね。

釈迦という いたずら者が世に出でて 多くの者を迷わすかな

仏僧でありながら、お釈迦さんまで「いたずら者」と否定する、いや否定して見せる。
これこそ「風狂人」とされた一休さんの神髄です。

最後の言葉は「死にたくねぇ」(笑)。
息を引き取る一瞬まで、自らを飾ることのない人物だったのです。

6位

宮武骸骨

出典:

名前はそのまま「ガイコツ」と言います(笑)。
職業は新聞・雑誌の編集者。主に明治・大正時代に活躍した人物です。
代表的な出版物に「滑稽新聞」というのがありました。

特に面白い記事は「詐欺師・野口茂平」シリーズ。
この野口茂平氏、当時実在の製薬会社社長でした。
効果のない薬を販売しているのではないかと疑った骸骨先生。

さっそく社長である野口茂平氏を、新聞紙上で「さらし首」に。
もちろんイラストなのですが、ここまでやるか!とはこのことです。
当然ですが、名誉棄損で訴えられました(笑)。
それにもめげず、このシリーズは延々と続いたそうです。

ほかにも、日露戦争中にバルチック艦隊がどこにいるのかわからなかった頃。
滑稽新聞ではトップに真黒な写真を掲載し、
タイトルはその名も「霧の中のバルチック艦隊」。

明治時代にも、こんな反骨とパロディ精神が旺盛な人物が実在したのです。

7位

細川政元

出典:

まとめ

常識は大事です。けれども常識を墨守しているだけだと、新しいものが生まれてこない、これもまた事実ですね。失礼ながら奇人変人のランキングに入れさせていただいた方々は、当時は眉をひそめられる行動をとったかもしれません。けれども確実に新たなものを生み出した歴史の功労者でもあるのです。
※掲載の内容は、記事公開時点のものです。変更される場合がありますのでご利用の際は事前にご確認ください。
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最終更新日: 2015-04-06 15:58:40.0
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